アトピーと小児ぜんそくに悩みながらも、父親から柔道を勧められ打ち込んできた植田さん。ステロイド中心の治療法で一向に改善しないアトピーがよくなったのは、植田さんが「本当に幸運な出合いでした」と語る乳酸菌食品を常用し始めてからだ。対処療法ではなく、個々の体が持つ回復力を高める乳酸菌FK?23菌の効果は、植田さんの病状ばかりでなく生き方まで変えた。

国際東洋医療柔整学院・鍼灸学院講師
植田睦海 Mutsumi Ueda
ニチニチ製薬?取締役東京本部長
酒井修一 Shuichi Sakai
体に必要な免疫のバランス
――植田さんのアトピー発症はいつごろですか?
植田 小学校4年生からですね。初期の段階は、肘の内側と膝の内側が痒くてたまりませんでした。それに小児ぜんそくがあって、虚弱体質と言われていました。学校でも休みがち運動会も欠席することが多かったのです。そういう体質を変えようとして、もともと父が柔道をしていましたので、小学6年生の時から柔道を始めました。
それで小児ぜんそくはよくなったのですが、アトピーの方は、その頃からステロイドの入った薬を塗っていましたので、症状はなんとか抑えることができました。黒くはなっていましたが、痒みが我慢できないというほどではありませんでした。
――ステロイドは、症状に合わせて増やしたり抑えたりしていたのですか?
植田 あまり薬の知識もなく、薬をもらったらどんどんつけていました。つければそれだけ治るものだと思っていましたから。
でも、大学を卒業して勤め始めた頃、ステロイドは体によくないというので、保湿をとることを中心に薬を変えました。その後、ある時生活のリズムが崩れストレスもたまってアトピーの症状が酷くなりました。
それでこれはちょっと真剣に考えなければという思いがしました。その頃、ある接骨院に勤めていて、ニチニチ製薬の酒井さんとお会いしたのです。
――酒井さんは、植田さんの症状をどうご覧になりましたか?
酒井 私たちは仕事柄、アトピーの方たちとお会いする機会が多いのですが、そのなかでもかなり重度の状態でした。2008年の2月に始めてお会いした時は、皮膚がとれてしまっているところあったし、口の周りもかなり爛れているような状態でした。肘の内側もカサブタ状になっていました。ステロイドの影響もあったのでしょうが、皮膚の色もよくないし、水分がぬけてカサカサでした。
これだけ重度だと1年程度は継続して頑張ってもらわないといけないなあ…と思いました。
植田 無意識に患部に手がいって掻いているのです。これはちょっと辛かったですね。何とかしなければと、真剣に思い悩んでいました。一生治らないのではないかという恐怖のようなものを感じていました。これでは外を歩けないとも。それで、1カ月に7軒も病院に行ったときもありました。
――植田さんの症状に対して、酒井さんはどのようなアプローチを?
酒井 ステロイドを全否定するつもりはありませんが、それはあくまでも対処療法であり根本的な治療にはなりません。植田さんは、一般的な免疫のバランスが相当崩れているのではと思いました。薬を塗って抑えるのではなく、多少時間がかかっても根本から治さないとダメだろうと。
植田 とにかく藁をも掴みたい心境でインターネットでも調べたのですが、なかなか納得できるものもなくて。ですから、とりあえず飛びついたという感じでした。


症状が酷かった腕(2008年3月19日) ほとんど症状が見られなくなった(2008年11月22日)

顔にもアトピーの症状が(2008年3月19日)
――ステロイドでなくて大丈夫かなという不安はありましたか?
植田 そうですね。
酒井 人間というのは、痒いとか痛いという感覚に訴える症状をまず抑えようとします。歯を治す前に痛みを取り除きたいと思うのは当然です。しかし、ステロイドにばかり頼っていては堂々巡りをしているだけになるのです。
それで私どものFK?23菌含有の濃縮乳酸菌食品と乳酸菌LFK含有食品をお勧めしました。
「夏に半袖が着たい…」
――飲み始めてから自分で変わってきたなと思い始めたのはいつ頃からですか?
植田 1、2カ月はよくなったり悪くなったりしていましたが、3カ月目に「アレッ」と思いました。それから症状がだんだんよくなってきました。
酒井 植田さんにも「1、2カ月では改善しないと思います」と伝えてありました。
3カ月ほどもすると腸内の環境が安定するので、次のステップとして漢方薬の投入も考えたうえ、大阪市立大学大学院の小林裕美准教授に診察をいただき漢方薬治療も併用してスタートしました。
植田 3カ月間は辛かったですね。でも酒井さんから「今までは即効性を求めて症状を抑えてきただけに過ぎず、根本的に体内からきれにするためには時間がかかるんだ」ということを聞いていたので、とにかく1年間は頑張ってみようと思っていました。
酒井 それに生活環境を徹底的に見直してもらいました。例えば、布団を日干しにするとか、食べ物でもアレルギーを悪化させるような「あられ」系のものを避けることなどです。
植田さんから話を聞くと、やはりストレスからお菓子などに手を伸ばしていたようでした。乳酸菌の効果だけでなく、生活環境をもう一度リセットする必要がありました。それを植田さんもしっかり守ってくれたので、いい結果も生まれたと思っています。
また電話だけでなく、メールなどで報告を受けていました。
――どのような報告を?
植田 最初は「落ち込んでいます」というものでしたが、症状が改善するにしたがって気分も明るくなりメールをするのが楽しくなりました。とにかく、夜中に痒くて眠れなかったことが一番辛かったですね。それが改善されて、睡眠がしっかり取れることで生活のリズムも随分変わりました。
●植田さんから酒井さんへのメール
≪2008年3月10日(月)≫
おはようございます。
お休みもなく出張ご苦労様です。
取りあえず報告ですが、
金曜土曜に顔の赤みと乾燥がかなり酷くなり皮膚がボロボロと剥がれ落ちています。
金曜に近くの病院に行き土曜日曜はゆっくり過ごし、今日はかなりましです。
乳酸菌の方は量も減らさず飲んでいます。
≪2008年7月19日(土)≫
先日はお忙しい中わざわざ来て下さり本当にありがとうございます。酒井さんのフットワ
ー クの軽さに脱帽です。
初めは不安もありましたが続けていく事が1番の近道なんだと痛感しています。
安心してアトピーを克服出来そうです。顔が気にならない分性格が明るくなれたように
思います。
ありがとうございました。
酒井 それまでは悪い方へ悪い方へと回っていたのが、一ついい方向に向かい始めたことで、全体がうまくまわり始めたのです。乳酸菌の作用が、生活そのものを改善するというシナジー効果を生んだのでしょう。そしてよくなった分、もっと欲が出てきて我慢しなければならないこともできるようになるものなのです。
植田 私も女性ですから、見た目に劇的に変わってきたので「次はオシャレをしてみたい」と酒井さんにも言っていました。
酒井 植田さんとの話し合いで「夏には半袖が着たい」ということがありましたが、あせってはいけないので今年の夏がダメでも来年にはと言っていました。
植田 それが今年の夏にクリアできたのです。
――それはよかったですね。
植田 楽しくなれば「がんばろう」という気持ちになれます。
酒井 人間の免疫力は楽しいことを考えるといいようです。その部分も大きいですよね。
植田 かなり大きかったですね。
酒井さんが、対処療法で通院していたお医者さんとは違った対応をしてくれたこともよかったですね。お医者さんから言われる"ダメなものはダメ"というのは、分かっていてもなかなか難しいのです。それを親身になって付き合ってくれたことがよかったですね。
酒井 私どもの会社は、乳酸菌の中でもアレルギーに効果があると注目されていますので、植田さんとのようなお付き合いは結構多いですし、その分データの蓄積や患者さんのサンプリングなどの経験値がプラスに動いたのではないかと思っています。
「治る方法がある」という確信
――ご自分の体験を踏まえて、植田さんから他のアトピーの患者さんに伝えたいことは?
植田 とりあえず、治るんだということを伝えたいですね。私もここまでよくなったことを見せてあげたいです。「治る方法があるんだ」という確信だけでも患者にとって、すごく勇気になるのではないでしょうか。
――新しい人生が開けるような気持ち?
植田 まさにそうです。
――これからの植田さんの目標は?
植田 小学生のころからずっと柔道をやってきて、高校の新人戦から全日本の強化選手に入って頑張ってきたので、柔道の世界で活動の場を広げて生きたいと思います。いま所属している学院で柔道の指導をしていくことと、そして、教え子たちが柔道整復師・鍼灸師の国家資格をとり、柔道界に貢献できる人材になれるよういろいろなサポートをしていきたく思っています。そういった夢もアトピーがよくなってはじめて可能になるし、人前でも言えるようになりました。
それから、柔道の審判員のライセンスをとって全国大会や国際大会に出ることを目標にしていきます。
――今後の植田さんに対して、酒井さんからのアドバイスは?
酒井 職場が変わって新たなストレスも出てくるかもしれませんが、それに負けないこと。そして、アトピーが治まっても対処療法をしているのではないので、今後も継続的に生活の一部として乳酸菌食品を飲みつづけることが大切です。免疫性も随分高まってきていると思いますが、この状況を維持することです。
――どうも有難うございました。

うえだ むつみ
1972年大阪府出身、講道館柔道四段。小学6年生から柔道を始め、
桜宮高校―筑波大学―ミキハウスと柔道を続け平成9年に現役を引退。
主な戦歴は1990年アジア大会(北京)優勝、91年世界選手権(バル
セロナ)3位。平成13年からは子どもの人間育成のため、小・中学生を
対象に柔道の指導に携わる。2008年10月、国際東洋医療柔整学院・
鍼灸学院専任講師、柔道部監督に就任。

恩師・田村監督の奥さんと(1999年現役最後の大会) 1991年世界選手権で獲得した銅メダル