第69回佐渡充高のワールドツアーリポート

S・ガルシアが病床のS・バレステロスに優勝を捧げ 世界ランク3位
優勝スピーチで脳腫瘍で闘病中の恩師・バレステロスへの想いを語った・・・
僕は何の手助けもできませんが、セベ(バレステロス)のことを思い続けていました。早く回復してほしい、私の気持ちのすべてを彼と彼の家族に届けたい。この優勝が少しでも役に立てばこれほど嬉しいことはありません」。
08年欧州ツアー最終直前の大会カステロ・マスターズ(スペイン、カステロン、クラブ・デ・カンポ・デ・メディタラネオGC)でセルヒオ・ガルシア(28)が同大会2勝目、欧州ツアーで3年ぶりに8勝目を飾った。この優勝で自己最高の世界ランク3位に浮上、1位のタイガー・ウッズ、2位のフィル・ミケルソンに迫った。
冒頭のコメントは脳腫瘍で闘病中のバレステロスに対する熱い思いを語った優勝スピーチの一部だ。
そして「僕や家族にとって、この試合は特別、格別なものです。今、僕は改めて優勝の大きな意味をかみしめています」と続けた。ガルシアは絶対に勝つ、勝たねばならない、という強烈な思いを秘めてこの試合に臨んでいたのだ。
会場となったゴルフ場は母国スペインというだけでなく、父親のビクトールが現在もクラブプロとして所属し、ガルシアが幼い頃からプレーをしてきたホームコースだった。
10月6日に突然バレステロスが倒れ、ガン性の脳腫瘍を摘出。絶対安静状態・・・
開催直前の10月6日に突然バレステロスが倒れ、意識がもうろうとしたまま緊急入院。ゴルフ界に激震が走った。試合中に3度目の脳腫瘍の摘出手術が行われ成功と伝えられたが、腫瘍がガン性であり、絶対安静という状態は変わらず、ガルシアは張り詰めた思いでプレーしていた。
バレステロス(51)といえばスペインが輩出したゴルフ界のスーパーヒーローでありリジェンドである。天才少年ゴルファーで17歳でプロに転向、22歳で全英オープンに優勝し、メジャー通算5勝。現在のタイガーに近い存在で、世界最強ゴルファーとして長期に渡り世界ランク1位の座にあった。
彼に憧れプロを目指したという選手は数多く、ガルシアもそのひとり。母国の英雄でもあり、憧れを超えた絶対的な存在だった。そのバレステロスからガルシアはジュニア時代から様々なアドバイスを受けてきた。バレステロスにとってもガルシアは特別な存在で、大切に育てねばならない母国の宝物。将来有望な自身の弟分だと確信したバレステロスは高校を卒業後にプロ転向を考えていたガルシアに成功への秘訣を2つ伝授した。
バレステロスからは”英語のマスター“と“左でもゴルフ”が伝授された・・・
一つは英語をマスターすること。もう一つは”左でもゴルフをすること“だった。ガルシアはそのアドバイスを守り高校時代から英語の家庭教師をつけてまで猛勉強した。ガルシアはレフティーではないが、助言に基づき左でもゴルフをはじめ、いまでは9ホールを40?45のスコアでプレーできるようにまでなった。
ガルシアへの2つの助言の真意は米国PGAツアーでは英語で苦労し、腰痛が持病となり活躍にブレーキをかけたというバレステロス自身の苦い経験によるものだった。
80年、83年にマスターズに優勝したが、英語が苦手なバレステロスはコミュニケーションミスで米国メディアとのトラブルが多かった。当時、僕も何度もバレステロスの記者会見を経験したが、必ずと言っていいほど記者たちに対し「しゃべりたくないことをしつこく、根掘り葉掘り聞かないでくれよ。君たちはいやな事を平気で質問してくるからな」と釘をさしていたものだ。
左でのプレーを勧めた理由はバレステロスが腰痛持ちで、その防止策として自ら役に立てていた方法だからだ。彼は一方向にばかり勢いよく動くゴルフスイングが体の左右のバランスを崩し、それが原因で腰痛が起きると考え、左でスイングすることでバランスを整えていたのだ。1976年から20年間で米ツアー9勝、欧州ツアー48勝、メジャーはマスターズ2回、全英オープン3回など通算87勝の実績を残した。治療や工夫でも腰痛が完治せず、95年、38歳でスパニッシュ・オープンに優勝。それを最後に勝利から遠ざかっている。
そのアドバイスでガルシアは英語も流暢に話せるようになり、コミュニケーションによるメディアとのトラブルはない。それどころか彼の茶目っ気たっぷりの性格がストレートに伝わり、メディアから好かれ、米国でも多くのファンができた。
ケガによる大きな不調もなく欧州ツアーで8勝目、米ツアーでも7勝、今季は準メジャーのプレーヤーズ選手権に優勝。世界ランク3位にも浮上し、念願のメジャー優勝へ大接近中だ。今後も恩師バレステロスの後を懸命に追いかけ続ける。



