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2007年03月30日

健康食品で取り戻した青春―C型肝炎を克服―

C型肝炎を克服したデイサービスセンター「菩提樹」理事 秋山一夫さん(京都府宇治市莵道平町)


肝臓を脅かす怖い病気の一つC型肝炎。C型肝炎ウイルス(HCV)に感染することで発症し、放置すると肝硬変や肝ガンへと進行する可能性が高いからだ。このC型肝炎と30年間も闘い克服したのが京都府宇治市在住で地元のデイサービスセンター「菩提樹」理事の秋山一夫さん(74歳)。克服までの過程を伺った。


ゴルフ.gif
自宅の庭でゴルフの素振りをする元気な秋山さん


血尿でシーツを真っ赤にしたことも

――C型肝炎を患われたのは。
今から考えると30歳代に感染していたのだと思いますね。その頃はC型肝炎という病名すらありません。徐々に進行してきたのです。


――体がどのような状態になられたのですか。
ひどいときには血尿によってシーツが真っ赤に染まっていることもありました。それだけではありません。鼻血が止まらなくなることも度々ありました。血小板が減っていたのです。それも病院に行ってからわかったことですが。


――感染の経路は。
輸血はしたことがありません。そこで思い起こすと昭和30年代に6回献血をしていました。当時は予防接種もそうですが、献血時にも使用した針は交換されていませんでした。善意の献血が、とんだ結果を生んでしまったのだと思っています。


――出血は体の異常のシグナル。日常的に体はどうもなかったのですか。
好きなゴルフをしても3日も4日も疲れが残り体がだるいし、日常的にも下半身がだるい状態で疲れやすくなったと感じていました。しかし、秋山乳業と太陽乳業という牛乳の製造販売の会社を宇治市で経営し、スーパーや病院、地元などの学校に牛乳を販売するという多忙を極める日々で、市販の健康ドリンクなどを飲んでごまかしていました。なにしろ毎日、夜中の2時すぎに起きて安全・安心な牛乳をお客さまに届けるのが日課でした。


――C型肝炎を患っているとわかったのは。

鼻血が止まらないし体もだるい。体調は最悪で『これはアカン』と思って知人の医師のところへ行きました。そこでC型肝炎と診断されました。6年ほど前です。


――そして治療がはじまった。
そうです。C型肝炎の最もポピュラーな治療薬「インターフェロン」の治療が始まりました。そこから自分でいつ、どれだけのインターフェロン治療などをしたかをメモするようになりました。このときは藁をもすがる気持ちでした。


治療状況を克明に記録した秋.gif
治療状況を克明に記録した秋山さんのメモ帳


持ち続けた「病気に負けてたまるか」


――治療の内容は。
インターフェロンの投与は、ほぼ1週間に1回。それは3年間続きました。合計で160回ほどの投与になりました。


――効果は。
好転しないのです。それどころかさまざまな副作用に悩まされました。腎臓の機能の低下や唇が切れ出血が止まらず、口の中に炎症もおきました。そしてインターフェロンの治療後、自動車を運転して病院の駐車場を出ようとしたとき車にぶつかりました。前後の間隔がわからなかったのです。数回、こうしたことがあり怖い思いをしています。これも副作用ですね。


――治療をしているわけですが、どのような気持ちでしたか。
正直、「もう助からないのでは」と弱気になるときと、一方で「病気に負けてたまるか」という気持ちの両方ありました。しかし当時、母が90歳を超えて健在でしたので「まだ死ねない」という気持ちのほうが強かったですね。


――しかし病気が良くならない。
インターフェロンだけではなく、レベトールといわれる薬も半年ほど投与されたりしました。それでも良くならないわけです。そのため健康食品やサプリメントなど体に良いといわれるものは何でも食べました。医師からは「そんな健康食品を食べたら責任が持てない」と言われました。そのときに「先生がそう言われるのだったら治る薬を教えてほしい」と言いました。そしたら医師は黙ってしまわれた。


――治りたいという気持ちからだったのですね。
血液検査ではGOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)やGPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)の数値は正常値の倍以上。血小板にいたっては健康な人の半分以下という状態になっていましたから。本当に人には言えない苦しみの日が続きました。これ以上、仕事は続けられないと判断し、当時の雪印乳業に営業譲渡し会社を清算しました。その1週間後に雪印乳業があの食中毒事件を起こしました。2000年6月のことです。


1年前にHCVが陰性になった


――そうした30年に及ぶC型肝炎との闘いの中で病を克服された。
1年ほど前にC型肝炎のウイルス反応が陰性になりました。ウイルス反応が陰性になるのは珍しいことと聞いています。GOTやGPTの数値も正常です。免疫力がついたのだと思います。陰性になる2年ほど前から健康食品のステビア草、スピルリナという健康食品に加えてFK?23という乳酸菌の健康食品を毎日、朝昼晩と食べ始めたのです。それから体が良くなり克服できた。


――インターフェロンの治療は。
副作用がきつくインターフェロン治療は止めていました。顔は肝臓病特有の黒い土気色で体は痩せてガリガリでした。そんなとき地元の方で知り合いの小菅憲次さん(小菅商店経営)からFK?23を勧められたのです。しかし、半年ほどは乗り気もせず食べていませんでした。


プロテサンを紹介してくれた.gif
FK?23を紹介してくれた小菅憲次さん(左)と

――健康食品を食べ始められていつごろから体調が良くなられたのですか。
02年の10月くらいからステビア草とスピルリナ、それにFK?23の3つを一緒に食べ始めて2週間くらい経って日課の5キロメートルほどのウォーキングをしたら軽快に歩けたのを今も覚えています。それからもずっと食べ続けてその結果、1年前からウイルスがなくなったわけです。副作用もまったくありません。現在も食べ続けています。


――今の率直な気持ちは。
もう助からないと思ったこともありましたので健康食品には感謝の気持ちでいっぱいです。好きなゴルフを週5日間ゴルフ練習場で打ちっぱなしをして、週1回ゴルフ場でプレーしています。翌日も疲れが残らず起きられるのは快適です。今、本当に青春している感じです。そしてC型肝炎で苦しんでいる人のお役に立とうと、健康食品の体験を一人でも多くの人に伝える毎日を過ごしています。

健康食品で取り戻した青春―C型肝炎を克服―

C型肝炎を克服したデイサービスセンター「菩提樹」理事 秋山一夫さん(京都府宇治市莵道平町)


肝臓を脅かす怖い病気の一つC型肝炎。C型肝炎ウイルス(HCV)に感染することで発症し、放置すると肝硬変や肝ガンへと進行する可能性が高いからだ。このC型肝炎と30年間も闘い克服したのが京都府宇治市在住で地元のデイサービスセンター「菩提樹」理事の秋山一夫さん(74歳)。克服までの過程を伺った。


ゴルフ.gif
自宅の庭でゴルフの素振りをする元気な秋山さん


血尿でシーツを真っ赤にしたことも

――C型肝炎を患われたのは。
今から考えると30歳代に感染していたのだと思いますね。その頃はC型肝炎という病名すらありません。徐々に進行してきたのです。


――体がどのような状態になられたのですか。
ひどいときには血尿によってシーツが真っ赤に染まっていることもありました。それだけではありません。鼻血が止まらなくなることも度々ありました。血小板が減っていたのです。それも病院に行ってからわかったことですが。


――感染の経路は。
輸血はしたことがありません。そこで思い起こすと昭和30年代に6回献血をしていました。当時は予防接種もそうですが、献血時にも使用した針は交換されていませんでした。善意の献血が、とんだ結果を生んでしまったのだと思っています。


――出血は体の異常のシグナル。日常的に体はどうもなかったのですか。
好きなゴルフをしても3日も4日も疲れが残り体がだるいし、日常的にも下半身がだるい状態で疲れやすくなったと感じていました。しかし、秋山乳業と太陽乳業という牛乳の製造販売の会社を宇治市で経営し、スーパーや病院、地元などの学校に牛乳を販売するという多忙を極める日々で、市販の健康ドリンクなどを飲んでごまかしていました。なにしろ毎日、夜中の2時すぎに起きて安全・安心な牛乳をお客さまに届けるのが日課でした。


――C型肝炎を患っているとわかったのは。

鼻血が止まらないし体もだるい。体調は最悪で『これはアカン』と思って知人の医師のところへ行きました。そこでC型肝炎と診断されました。6年ほど前です。


――そして治療がはじまった。
そうです。C型肝炎の最もポピュラーな治療薬「インターフェロン」の治療が始まりました。そこから自分でいつ、どれだけのインターフェロン治療などをしたかをメモするようになりました。このときは藁をもすがる気持ちでした。


治療状況を克明に記録した秋.gif
治療状況を克明に記録した秋山さんのメモ帳


持ち続けた「病気に負けてたまるか」


――治療の内容は。
インターフェロンの投与は、ほぼ1週間に1回。それは3年間続きました。合計で160回ほどの投与になりました。


――効果は。
好転しないのです。それどころかさまざまな副作用に悩まされました。腎臓の機能の低下や唇が切れ出血が止まらず、口の中に炎症もおきました。そしてインターフェロンの治療後、自動車を運転して病院の駐車場を出ようとしたとき車にぶつかりました。前後の間隔がわからなかったのです。数回、こうしたことがあり怖い思いをしています。これも副作用ですね。


――治療をしているわけですが、どのような気持ちでしたか。
正直、「もう助からないのでは」と弱気になるときと、一方で「病気に負けてたまるか」という気持ちの両方ありました。しかし当時、母が90歳を超えて健在でしたので「まだ死ねない」という気持ちのほうが強かったですね。


――しかし病気が良くならない。
インターフェロンだけではなく、レベトールといわれる薬も半年ほど投与されたりしました。それでも良くならないわけです。そのため健康食品やサプリメントなど体に良いといわれるものは何でも食べました。医師からは「そんな健康食品を食べたら責任が持てない」と言われました。そのときに「先生がそう言われるのだったら治る薬を教えてほしい」と言いました。そしたら医師は黙ってしまわれた。


――治りたいという気持ちからだったのですね。
血液検査ではGOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)やGPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)の数値は正常値の倍以上。血小板にいたっては健康な人の半分以下という状態になっていましたから。本当に人には言えない苦しみの日が続きました。これ以上、仕事は続けられないと判断し、当時の雪印乳業に営業譲渡し会社を清算しました。その1週間後に雪印乳業があの食中毒事件を起こしました。2000年6月のことです。


1年前にHCVが陰性になった


――そうした30年に及ぶC型肝炎との闘いの中で病を克服された。
1年ほど前にC型肝炎のウイルス反応が陰性になりました。ウイルス反応が陰性になるのは珍しいことと聞いています。GOTやGPTの数値も正常です。免疫力がついたのだと思います。陰性になる2年ほど前から健康食品のステビア草、スピルリナという健康食品に加えてFK?23という乳酸菌の健康食品を毎日、朝昼晩と食べ始めたのです。それから体が良くなり克服できた。


――インターフェロンの治療は。
副作用がきつくインターフェロン治療は止めていました。顔は肝臓病特有の黒い土気色で体は痩せてガリガリでした。そんなとき地元の方で知り合いの小菅憲次さん(小菅商店経営)からFK?23を勧められたのです。しかし、半年ほどは乗り気もせず食べていませんでした。


プロテサンを紹介してくれた.gif
FK?23を紹介してくれた小菅憲次さん(左)と

――健康食品を食べ始められていつごろから体調が良くなられたのですか。
02年の10月くらいからステビア草とスピルリナ、それにFK?23の3つを一緒に食べ始めて2週間くらい経って日課の5キロメートルほどのウォーキングをしたら軽快に歩けたのを今も覚えています。それからもずっと食べ続けてその結果、1年前からウイルスがなくなったわけです。副作用もまったくありません。現在も食べ続けています。


――今の率直な気持ちは。
もう助からないと思ったこともありましたので健康食品には感謝の気持ちでいっぱいです。好きなゴルフを週5日間ゴルフ練習場で打ちっぱなしをして、週1回ゴルフ場でプレーしています。翌日も疲れが残らず起きられるのは快適です。今、本当に青春している感じです。そしてC型肝炎で苦しんでいる人のお役に立とうと、健康食品の体験を一人でも多くの人に伝える毎日を過ごしています。

健康食品で取り戻した青春―C型肝炎を克服―

C型肝炎を克服したデイサービスセンター「菩提樹」理事 秋山一夫さん(京都府宇治市莵道平町)


肝臓を脅かす怖い病気の一つC型肝炎。C型肝炎ウイルス(HCV)に感染することで発症し、放置すると肝硬変や肝ガンへと進行する可能性が高いからだ。このC型肝炎と30年間も闘い克服したのが京都府宇治市在住で地元のデイサービスセンター「菩提樹」理事の秋山一夫さん(74歳)。克服までの過程を伺った。


ゴルフ.gif
自宅の庭でゴルフの素振りをする元気な秋山さん


血尿でシーツを真っ赤にしたことも

――C型肝炎を患われたのは。
今から考えると30歳代に感染していたのだと思いますね。その頃はC型肝炎という病名すらありません。徐々に進行してきたのです。


――体がどのような状態になられたのですか。
ひどいときには血尿によってシーツが真っ赤に染まっていることもありました。それだけではありません。鼻血が止まらなくなることも度々ありました。血小板が減っていたのです。それも病院に行ってからわかったことですが。


――感染の経路は。
輸血はしたことがありません。そこで思い起こすと昭和30年代に6回献血をしていました。当時は予防接種もそうですが、献血時にも使用した針は交換されていませんでした。善意の献血が、とんだ結果を生んでしまったのだと思っています。


――出血は体の異常のシグナル。日常的に体はどうもなかったのですか。
好きなゴルフをしても3日も4日も疲れが残り体がだるいし、日常的にも下半身がだるい状態で疲れやすくなったと感じていました。しかし、秋山乳業と太陽乳業という牛乳の製造販売の会社を宇治市で経営し、スーパーや病院、地元などの学校に牛乳を販売するという多忙を極める日々で、市販の健康ドリンクなどを飲んでごまかしていました。なにしろ毎日、夜中の2時すぎに起きて安全・安心な牛乳をお客さまに届けるのが日課でした。


――C型肝炎を患っているとわかったのは。

鼻血が止まらないし体もだるい。体調は最悪で『これはアカン』と思って知人の医師のところへ行きました。そこでC型肝炎と診断されました。6年ほど前です。


――そして治療がはじまった。
そうです。C型肝炎の最もポピュラーな治療薬「インターフェロン」の治療が始まりました。そこから自分でいつ、どれだけのインターフェロン治療などをしたかをメモするようになりました。このときは藁をもすがる気持ちでした。


治療状況を克明に記録した秋.gif
治療状況を克明に記録した秋山さんのメモ帳


持ち続けた「病気に負けてたまるか」


――治療の内容は。
インターフェロンの投与は、ほぼ1週間に1回。それは3年間続きました。合計で160回ほどの投与になりました。


――効果は。
好転しないのです。それどころかさまざまな副作用に悩まされました。腎臓の機能の低下や唇が切れ出血が止まらず、口の中に炎症もおきました。そしてインターフェロンの治療後、自動車を運転して病院の駐車場を出ようとしたとき車にぶつかりました。前後の間隔がわからなかったのです。数回、こうしたことがあり怖い思いをしています。これも副作用ですね。


――治療をしているわけですが、どのような気持ちでしたか。
正直、「もう助からないのでは」と弱気になるときと、一方で「病気に負けてたまるか」という気持ちの両方ありました。しかし当時、母が90歳を超えて健在でしたので「まだ死ねない」という気持ちのほうが強かったですね。


――しかし病気が良くならない。
インターフェロンだけではなく、レベトールといわれる薬も半年ほど投与されたりしました。それでも良くならないわけです。そのため健康食品やサプリメントなど体に良いといわれるものは何でも食べました。医師からは「そんな健康食品を食べたら責任が持てない」と言われました。そのときに「先生がそう言われるのだったら治る薬を教えてほしい」と言いました。そしたら医師は黙ってしまわれた。


――治りたいという気持ちからだったのですね。
血液検査ではGOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)やGPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)の数値は正常値の倍以上。血小板にいたっては健康な人の半分以下という状態になっていましたから。本当に人には言えない苦しみの日が続きました。これ以上、仕事は続けられないと判断し、当時の雪印乳業に営業譲渡し会社を清算しました。その1週間後に雪印乳業があの食中毒事件を起こしました。2000年6月のことです。


1年前にHCVが陰性になった


――そうした30年に及ぶC型肝炎との闘いの中で病を克服された。
1年ほど前にC型肝炎のウイルス反応が陰性になりました。ウイルス反応が陰性になるのは珍しいことと聞いています。GOTやGPTの数値も正常です。免疫力がついたのだと思います。陰性になる2年ほど前から健康食品のステビア草、スピルリナという健康食品に加えてFK?23という乳酸菌の健康食品を毎日、朝昼晩と食べ始めたのです。それから体が良くなり克服できた。


――インターフェロンの治療は。
副作用がきつくインターフェロン治療は止めていました。顔は肝臓病特有の黒い土気色で体は痩せてガリガリでした。そんなとき地元の方で知り合いの小菅憲次さん(小菅商店経営)からFK?23を勧められたのです。しかし、半年ほどは乗り気もせず食べていませんでした。


プロテサンを紹介してくれた.gif
FK?23を紹介してくれた小菅憲次さん(左)と

――健康食品を食べ始められていつごろから体調が良くなられたのですか。
02年の10月くらいからステビア草とスピルリナ、それにFK-23の3つを一緒に食べ始めて2週間くらい経って日課の5キロメートルほどのウォーキングをしたら軽快に歩けたのを今も覚えています。それからもずっと食べ続けてその結果、1年前からウイルスがなくなったわけです。副作用もまったくありません。現在も食べ続けています。


――今の率直な気持ちは。
もう助からないと思ったこともありましたので健康食品には感謝の気持ちでいっぱいです。好きなゴルフを週5日間ゴルフ練習場で打ちっぱなしをして、週1回ゴルフ場でプレーしています。翌日も疲れが残らず起きられるのは快適です。今、本当に青春している感じです。そしてC型肝炎で苦しんでいる人のお役に立とうと、健康食品の体験を一人でも多くの人に伝える毎日を過ごしています。

2007年03月01日

2007年4月号 月刊スーパーゴルフ

2007年3月1日発売 Volume93

2007_04_hyoushi.jpg


[巻頭特集]
◆ミッシェル・ウィー、横峰さくら、諸見里しのぶ、ポーラ・クリーマー
元気娘の飛ばしのドライバースイング


[ギア特集]
◆プロV1、X-01、Z-UR・・・・・・
話題のニューボール性能チェック


◆初シード獲得の注目プロ
富田雅哉プロが教える
まっすぐ遠くへ飛ばすドライバーテクニック


[特別増刊(中綴じ)]
「新作」打! 金谷多一郎プロが07年注目モデルを一挙試打


◆今月のサプライズ
“白いハンカチ”でファンサービス


〈連載レッスン〉
◆シニアツアー賞金王 三好隆プロの
50歳からのぶっ飛ばしドライバーテクニック


◆“志門流ゴルフ”免許皆伝
バンカーショット編


◆カリスマコーチ増田哲仁プロの門外不出(秘)上達講座
[第34回]基本をマスターするための(秘)レッスン


◆ショートゲームの達人 奥田靖己プロが教える
寄せワンのためのスーパーテクニック
足がバンカー中でボールは外のアプローチ編


〈レディスROOM〉
◆藤田幸希プロのレッスン倶楽部


◆ビューティクラブ


〈連載読物〉
◆佐渡充高のワールドツアーリポート


◆ゴルフの薬箱
いいゴルファーになるための心の指標 鈴木康之


◆スコアを10打縮めるメンタルゴルフ革命 児玉光雄


◆カリスマトレーナー摩季れい子先生の
メディカルゴルフレッスン


◆NEWギア&NEWグッズ


◆クラブ調査隊が紹介する今月の逸品


◆今月の売れ筋ランキング


◆フットジョイのシューズ
“カチッカチッ・・・”って音、一体何?


◆賞賛されるクルマ達
BMW335i COUPE


◆SUPER GOLF BOX


◆ゴルフプレイガイド〈茨城県〉


◆情報BOX


◆読者プレゼント